和歌山県は全国の山椒生産量の6割を占め、2位以下を大きく引き離す日本一の生産地です。とりわけ有田川町、中でも清水地域(旧清水町)は、一時期全国の山椒生産の8割を占めていたほど、山椒生産の盛んな地です。
古くは平安時代中期の『延喜式(えんぎしき)』(法令集)に「紀伊国秦椒三升」(紀伊国は現在の和歌山県、秦椒は山椒のこと)とあって、山椒が貢納されていました。『高野山文書』の正嘉年間(1257〜1259)にも、山椒が産物として記されており、当地の山椒栽培は800年〜1000年もの歴史をもちます。
県別の山椒収穫量とシェア
和歌山県内のおもな山椒生産地
江戸時代末期の天保年間(1831〜1845年)に、遠井(とい)村(現在の有田川町遠井)の医要木(いおき)勘右衛門が、自宅の庭で大粒の実をぶどうの房のようにつける山椒を発見し、香り高く辛みも強いことから、以来これが栽培されるようになり、この地に根づいてきました。これが現在も作り続けられる、特産の「ぶどう山椒」です。医要木は医用木とも書き、ぶどう山椒が医用に用いられたことから、勘右衛門の屋号になったそうです。
有田川町は町の面積の76%を森林が占める山がちな土地柄です。温暖な紀伊半島にあって、清水地域は標高が高いため冬には積雪も見られます。こうした地形や気候が山椒の栽培に適し、田畑のあぜや傾斜地を利用した山椒栽培がおこなわれてきたのです。さらにアジア太平洋戦争後に香辛料や薬品原料として山椒の需要が急増すると、畑での本格的な山椒栽培が始まり、栽培面積も広がりました。
清水地域の山椒畑