きとら農園の新田清信さんは旧清水町出身。現在は海南市に住まいを構えて家族と暮らし、清水地域の山間部にある山椒畑に通うというスタイルで働いている。一方、横浜出身の冨岡武さんは有田川町地域おこし協力隊として着任し、境川地区で暮らし始めて現在で半年余り。お二人の語る新しい就農のカタチとは?
UターンとIターン 僕たちのここまでの“軌跡”
新田地元にいたのは中学卒業まで。高校は和歌山市、大学は愛知県へ進学。その後自衛隊に入ったけれどケガをしたこともあって続けることを断念し、東京に出て働き始めました。東京で出会った彼女との結婚を機に、田舎に帰って就農して食べていこうと考えたんです。
冨岡僕は一人だからいいけど、家族を連れて就農というのは結構思い切った決心ですよね。
新田ちょうどその頃、ぶどう山椒の需要が高まっていて、いい値段で取引されているという話を聞いていた。本気でやればちゃんと稼げるだろうと思って。それで山椒畑を作るために荒れた山林を購入して、整地して耕して苗木を植えることから始めました。山椒の実が収穫できるまでには5年かかる。そのタイミングで海南市に引っ越して、そこから車で一時間弱かけて山に通って仕事をしています。
冨岡僕は横浜生まれの横浜育ち。働き始めてからは名古屋や埼玉を転々としていたんですが、いつからか、これまで全く知らなかった場所で一から何かを始めてみたいと思うようになって…。移住センターなどに相談しながら決めたのが有田川町でした。今は、境川地区で一人暮らし。近隣の農家の方からいろいろ教えてもらいながら借りた畑に先日初めて山椒の苗木を植えたばかりです。
有田川町に来るまでは山椒に興味がなかったという冨岡さん
ぶどう山椒農家の一年
新田農業っていうと年中手がかかるというイメージがあるんだけど、実は山椒農家が忙しいのは4月から8月末くらいまでの半年弱。ただし、7月と8月のピーク時は本当に大変。うちは家族総出でなんとかやっているけれど。
冨岡収穫の時期が短いから、作業が集中するんですよね。
新田この辺りの山椒農家の平均年齢は80歳に近い。収穫の時期だけアルバイトを頼んでいた農家の主婦の方たちも高齢化。摘み取り作業が少しでも楽になるように、苗木を育てる過程で「収穫しやすい」木を作ることも大事なことです。しゃがまなくてもいい高さに実がたくさんなるように。
冨岡そういう木造りも含めて、面白いですよね。苗木を植える際にも、日当たりや風の強弱を考えてやらないといけない。
新田8月で山椒農家としての作業が終わった後は、僕の場合、秋は桑の葉を育てて「桑の葉茶」を製造しています。冬になると住まいのある海南市で庭師の仕事を請け負っている。嫁さんはもともとアパレルの世界にいたから、そういう関連の仕事を見つけて農業とは関係なく働いています。
冨岡山椒農家は、一年の半分以上は別のことをやれるというのがいいですよね。