山の木は、それぞれが大切な役割を担っている
有田川支流の集落、旧清水町下湯川に暮らす西脇直次さんは子ども時代をこんなふうに振り返る。「山には色々な木々があって、その周りを囲むように棕櫚(しゅろ)の木が茂っていたんです。それぞれの木がどんなふうに使われて暮らしの中で役に立っているのかを間近で見て、子ども心に山の木の価値を強く感じていました」。だが、昭和の高度成長期以降、時代は大量生産・大量消費へと舵を切った。自然のままに育った山の木々は伐採され、代わりにスギやヒノキなどが植林された。樹齢数百年の木が、役割を果たさないままに切られて朽ちていく。木からつくられる仏像や芸術品にも興味があった西脇さんは、そんな状況に疑問を感じて、本を読んだり、宮大工のような専門職の方に会ったりしながら、木に関する多くの知識を培っていった。木の役割を考えて、何らかの目的に向かってじっくりと育てようという人が周りにはいなかった。「自分がやるしかない」という思いからその後の生き方を決めた。
西脇直次さん・榮子さん夫妻
「自分の生きる道」はこれしかない
実家の父親が棕櫚の木の加工を内職でやっていたことからヒントを得て、西脇さんは棕櫚の製品づくりを本業としてやっていくことを決意する。同じ種類の木でも場所や環境の違いで育ち方が違う。柔らかい部分は体を洗うためのブラシに、固くて強い部分は高級たわしにと、それぞれの特性を見極め、メリットを最大限に活かしながら商品化のアイデアを練っていった。
「自分の考え方や技術で開拓できる分野を見つけて、そこでのチャレンジがしたかった」。大切なのは自分の目で確かめ、自分の頭で考えて、「自分の道」を見つけること。誰かが敷いた道ではなく、自分自身が発見し、選択した道を進むことこそが生きることだと感じていたからだ。そんな生き方をこれまでまっとうできたのは、23歳の時に結婚した奥様、榮子さんの協力が大きかった⋯と、少し照れながら教えてくれた。商品として完成するまでの試作品作りは手間と時間がかかるうえに、成功するかどうかもわからない終わりの見えない作業だ。「家内には、ずいぶん苦労をかけました」。その隣で榮子さんの明るい笑顔が弾けた。