かんじゃ山椒園は日当たりの良い山際にある。「田舎Cafeかんじゃ」はここに併設されている。
故郷に魅力的な“生業”をつくりたかった
「生まれ育った場所からどんどん若い人がいなくなり、山や森が荒れ果てていく。それが辛かった」。永岡さん夫妻がいったんは離れた故郷・有田川町に戻ったのは2004年。過疎へと進む地元のために力を尽くしたいと思ったのがUターンの理由だった。「必要なのは山間部で暮らしていくための生業でした」と永岡さん。この場所で勝負できるものは何かと考えた時、ふと頭に浮かんだものは、子どもの頃から見慣れた風景の中にあった、特産の『ぶどう山椒』である。
有田川町遠井地区(旧清水町)はぶどう山椒発祥の地。さわやかな香りと大きく肉厚な粒形が特徴で、“緑のダイヤ”と呼ばれるほどの高級品だ。だが、農家にとっては数ある作物のひとつという扱いで、山椒自体の持つ潜在的価値に気づいている人は少なかった。実際その頃市場に出回っていた加工品は、ぶどう山椒の魅力を十分に伝えきれていなかった。爽やかな柑橘系の香り、鮮やかな緑色、スッキリとしびれるような辛味。「この素晴らしい味わいをまっすぐに直接消費者に届けよう。きっと喜んでもらえるはずだ」――そのひらめきが永岡さんの挑戦の始まりだった。
スパイスとして、ぶどう山椒の可能性は無限大
故郷に戻った永岡さんは、まずは一人でぶどう山椒の魅力を伝えるために動き出した。駅前で生のままのパック詰めを並べて販売してみた。鮮やかな緑色に惹かれて手に取ってくれる人は多かったが、買ってくれる人は少なかった。「どう使ったらいいのかわからない」。そんな声を聞き、次に取り組んだのは加工品の製造だった。自宅の台所で佃煮や山椒味噌を作っては売りに行くことを始めたが、やはりそう簡単には売れない。手間や時間が収入に見合わない。ただ、「何とか故郷に生業を作りたい」という強い気持ちだけが支えだった。
しかし、そんな大変な日々の中にも嬉しい発見があった。「お客様との会話の中から消費者が何を求めているのかが少しずつ見えてきました」。その静かな闘いの様子を傍らで見つめていた奥様、初美さんが仕事を辞めて「一緒にやりたい」と言ってくれたことも大きな力になった。二人は山の中にカフェを開いて食べ方の提案を始めた。「山椒は、乳製品ととても相性がいいんです」。チーズやアイスクリームには粉山椒、カルボナーラには実山椒の水煮を。試行錯誤の中で自慢のレシピがいくつも生まれた。やがて、半信半疑で食べたカフェのお客様が、初めての味わいにびっくりして「家でも使ってみたい」と山椒を買って帰るという連鎖が生まれた。ぶどう山椒が日本発の「スパイス」として無限の可能性を秘めていることを再認識する日々だった。
たわわに実った収穫期のぶどう山椒